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「超」について超わかりやすく解説します

前回出てきた「超論理」の「超」について解説します!(マニアックテーマ!)

この記事を読んだら、、

・少しわかりにくい「超」という言葉について完璧に理解できます

今日はこの一本勝負で行きたいと思います。

でも、安心してください。

ちゃんと、関連するおすすめの本も紹介するのでご安心を。

「超」という言葉を正しく理解してますか?

日常でよく使われている「超」という言葉、その正しい意味をあなたは知っているでしょうか?

「めっちゃ」という意味しか知らない人は文章を読んでいるときにその言葉の意味を取り違えてしまうかもしれません。

今回はそんな「超」についてわかりやすく解説します。

用法は2つ

さて、「超」という言葉ですが、その言葉の使い方は大きく分けて2つあります。

「接頭辞」と「接尾辞」です。

急に難しい言葉が出てきたな・・と身構えないでください。

簡単に言うと、何かの単語の最初(=頭)に付くのが接頭辞で、その反対に、何かの単語の最後(=尾)に付くのが接尾辞です。

まず、大きく分けてこの二つの使い分けがあります。

接尾辞の方は「未満」の逆

まずは簡単な接尾辞の方から説明します。

突然ですが、「以上」の逆は?と聞かれたら何と答えますか?

・・・「以下」ですよね。ここはさすがに簡単なはず。

じゃあ、「20歳未満は飲酒喫煙は禁止っていうけど『未満』の逆ってなんだ?」って思ったのが大学1年生のときです。

流れて的に答えは「超」なんですけど知ってましたか?僕は知らなかったです。

たとえば、100超といえば、100を超えてっていう表現なります。

注意すべきは、「20歳未満は~」というときは20歳を含まないのと同様に、100超というときは100を含みません。

含むときは「以上」「以下」で表します(≧これとか<これとかの区別です。大丈夫ですよね?)

接頭辞の意味は英語で考えよう

次に、接頭辞についてですが、意味が2つあります。

これはそれぞれ英語で考えるとわかりやすいですが①veryと②superです。

①は日常でよく見聞きする意味の方ですね。「めっちゃ」とかいうときはこっちの意味です。

例でいえば、「超満員」とかでしょうか。要は「めっちゃ満員」ってことですね。

②の意味があまり見慣れないので今回の主役です。

「超」と書いてスーパーと呼ぶなんてどこぞのドラ〇ンボールです。

こちらのは、「超○○」と使われていたら、「○○を超越した◎◎」という感じでしょうか。

意味が分からないと思うので具体的に説明します。

「非論理的」と「超論理的」です。

「日本語は非論理的」は本当か?

「日本語は英語に比べて非論理的である」という批判を一度は耳にしたことはあるだろうか?

英語は主語がはっきりしているが、日本語は主語が抜け落ちていて論理的だというのがそのない理由だ。

この批判に対して異議を唱えているのが言語学者の外山滋比古氏だ。

曰く、「日本語は非論理的ではなく、超論理的なのだ」というのが彼の主張である。

つまり、日本語は相手のことをなるべく直接的に言及しないで意味を伝えようとする表現法が発達しているのだ、だからこそ皮肉やユーモアを含んでおもしろい。

それに比べて英語は直接的過ぎてつまらない・・ということが『日本語の論理』という本に書いてあって非常に面白いのだが話が逸れてしまうのでここまで。

話を戻すと、日本語は論理にあらず(=非論理的)ではなく、英語的な論理を超えた論理(=超論理)によって記述されているのだというが「日本語は非論理的ではなく超論理的だ」という言葉に集約されているのだ。

・・・伝わっただろうか?

「メタ」という言葉に近いかも

別の表現をすれば、「メタ」という言葉に近いかもしれない。

メタとは「ある事象に対しての高次の視点や立場」という定義づけされているが、ここも「メタ認知」という言葉で説明してみようと思う。

Aという物があるとして、そのAを私が見るときは「Aを認知している」というが、「そのAを認知している私を客観的に見ている」というのがメタ認知だ。

たとえば、この記事をソファで座りながらスマホで見ている。そこから幽体離脱して(?)、そのスマホで記事を読んでる自分を客観視しているのがメタ認知ということだ。

超もメタも少し引いた状態で、しかもより高いレベルで見たものというところで共通している。

超わかった?

さて、いかがっただろうか。整理すると

接尾辞のときは「未満の逆(以上みたいな)」、接頭辞のときは①very(めっちゃ)と②superだ。

特に、難しいのは②のときだが、見極め方は「超○○」という形で○○が難しい熟語のときだ(超論理的とかね)。

そのときは、英単語みたいに一問一答形式で意味をおぼえるんじゃなくて、頭を柔らかくして考えてみよう(論理を超えたすごい論理か、、まさにスーパー論理じゃん!みたいにね)。

そして、途中で出てきた日本語は非論理的ではなく超論理的なのだという話がおもしろいと思った方は是非『日本語の論理』という本を読んでみてほしい。ちなみに、ゆきたは高校?のときに現代文の問題かなんかで出会って外山滋比古氏の本を片っ端から読んだ記憶があります。

てことで、今日はここまで。